アセクシャルという性癖
20年の後半は、舞台を観たり、守備範囲以外の小説を読むことが増えた。
その中でつくづく感じたのは、自分のアセクシャルとしての「特殊性癖」だ。
つい先日も舞台で、
「あなたは私のものだ!」という台詞を聞いてすっかり酔から醒めてしまった。
これを受けるのは、
「私は誰のものにもなりません」
で、そりゃそうだわ、と思いながらも筋の運びでは彼女が「あなたのもの」になるのが見えている。
これは劇中劇の台詞なので、本編はまた違う意味を持っているのだけれど、ここで二人の恋を応援できないと熱中できないのは確かだ。
思い返せば小学生の頃から、まわりが安全地帯に熱を上げる中「声はいいけど歌詞がいまいち」とか、皆がドリカムを熱唱しているときに「けっ嘘くさい」とか思ってきたのは、捻くれていたからではなく恋とかロマンスにご用がなかったからだ。
恋の形をとった打算とか、病理とかの話のほうがどこかで破綻するスリルがある分まだ面白い。
ホルモンの作用による恋は「楽しそうでよかったね」と言うよりない。
ここで間違えちゃいけないのが「人を好きにならない」訳ではないということ。
ただ好きのベクトルがエロスではなくアガペだというだけ。
恋愛は自然にする人がするんであって、無理に真似しなくていい。
結婚は恋愛の果てにあるものではなく、したければ計画に基づいてできる。
世の中はまだまだ「恋愛」が主流のコンテンツだが、じわじわとそうでないものも増えてきた。
何かを読んだり観たりして、のれないと思ったら、一度自分の好みを掘り下げてみるといい。