「腐女子」の刻印は消えない

最古に属する部類だと思います。数十年!ぶりに甦った「萌え」にびっくりしたので、とりあえず自分のために分析した事を置きます

アセクシャルが読む恋愛もの

恋愛志向がないのに、どうやって恋愛ものを楽しむのか?

 

この問いはたくさんの要素を包括してしてしまうので、答えるのに少し時間がかかった。

 

私は表現物に描かれる恋愛は「人間関係の可能性」とみなしている。

「BL進化論 対話篇」で著者、溝口彰子との対談で三浦しをんが「BLは愛の様々な可能性を追求できる(大意)」と述べているが、

BLに限らず、友情にしろ、恋愛にしろ、すべては人と人との間の関係性、愛とはなにか、についての物語である。

 

アセクシャルは「恋愛」を指向しないだけで、人を愛しはする。

また、共感しないかもしれないが理解できないわけではない。

 

だから、腐向けやBLに限らず、一般の小説やマンガでもことさらに恋愛ものを避けたりはしない。

 

          

 

たとえば、「エレナーとパーク」は児童虐待、「サイモンVS人類平等化計画」はアウティングが遠景の主題になってはいるが、前景は主人公の恋愛模様で、それがすごく可愛らしかったので印象に残っている。

でも、恋愛が主題で他に何もテーマがないと興味が持続しないので、読み続けるのは少しつらい。

 

腐向けを読むのはまた意味が違ってくる。

「(原作を)もっと読みたい。ほかの人はどう解釈するんだろう?」

というのが根底にあって、どうしてその二人をカップリングしたのかその理由や、二人の関係性のテーマをみている。

 

BLについては、もともと嗜好が「やおい」*にあるので、場合によっては性的関係を脳内で省いて読んだりする。

 

*参照 拙ブログ 「腐女子まわりの定義から」

https://salmata.hatenablog.com/entry/2020/01/12/215854

 

そしてこれらを包括すると、自分が表現物に見出そうとしているのは「対等な人間関係の可能性」だと言えると思う。