アセクシャルが読む恋愛もの
恋愛志向がないのに、どうやって恋愛ものを楽しむのか?
この問いはたくさんの要素を包括してしてしまうので、答えるのに少し時間がかかった。
私は表現物に描かれる恋愛は「人間関係の可能性」とみなしている。
「BL進化論 対話篇」で著者、溝口彰子との対談で三浦しをんが「BLは愛の様々な可能性を追求できる(大意)」と述べているが、
BLに限らず、友情にしろ、恋愛にしろ、すべては人と人との間の関係性、愛とはなにか、についての物語である。
アセクシャルは「恋愛」を指向しないだけで、人を愛しはする。
また、共感しないかもしれないが理解できないわけではない。
だから、腐向けやBLに限らず、一般の小説やマンガでもことさらに恋愛ものを避けたりはしない。
たとえば、「エレナーとパーク」は児童虐待、「サイモンVS人類平等化計画」はアウティングが遠景の主題になってはいるが、前景は主人公の恋愛模様で、それがすごく可愛らしかったので印象に残っている。
でも、恋愛が主題で他に何もテーマがないと興味が持続しないので、読み続けるのは少しつらい。
腐向けを読むのはまた意味が違ってくる。
「(原作を)もっと読みたい。ほかの人はどう解釈するんだろう?」
というのが根底にあって、どうしてその二人をカップリングしたのかその理由や、二人の関係性のテーマをみている。
BLについては、もともと嗜好が「やおい」*にあるので、場合によっては性的関係を脳内で省いて読んだりする。
*参照 拙ブログ 「腐女子まわりの定義から」
https://salmata.hatenablog.com/entry/2020/01/12/215854
そしてこれらを包括すると、自分が表現物に見出そうとしているのは「対等な人間関係の可能性」だと言えると思う。