育ちのかべ
友人からお返事が来た。
大事な論点がたくさん降ってくるので、取りこぼさをないようにしたいんだけど、前回のテーマをついで、 ここにお返事をする。
今、子を持つ身となった私達が 前世代がそうだったから 親に認めてもらえなかったから それを理由に いつまでもいつまでも 自分も自分を認められず、で良いのか? と考える
【毒親ってなに?】への返信 - ふりむくわけにはいかないぜ
なるべく具体的なほうがわかりやすいと思うので、私の話をする。
息子が生まれて間もない頃は、週一とはいわず、しばしば母が尋ねてきた。
私は彼女が、子供や動物が苦手なことは知っていた。
でも、ちょっと抱っこしてて、という時に、荷物のなかから流し用の小さなスノコを出してきたのには、娘ながら驚いた。
なんでスノコかわかるだろうか?
首の座らない新生児なので、スノコに乗せて持ち上げればいいだろうという発想。
私は一体どのように育てられたのだ!?
そういう母だったので、私には欠けた部分がたくさんあり、また余分についているものも沢山あった。
でも、成長段階で不自由を感じるところは、自分で埋めたりならしたりするのである。
わたしは欠けたところは適当に放っておいて、余分なところを更に盛ったので、だいぶ先鋭的な形になった。
そして、埋めたりならしたりするには、外側から自分を観察することと、粘土を持ってきて捏ねるように、学んで考える作業は必要なのである。
スノコに新生児を乗せる母の娘は、自分の子供を育てるに際して、生物学から育児の本まで読み漁り、発見した一文を道しるべにした。
もう資料が手元にないので、正確に引用はできないが、
「母性なんてものは備わっているものではない。赤ん坊に触りまくることで、オキシトシンが分泌されるようになる」
というものである。
これのおかげで幸先のいいスタートを切ったと思う。
ああなんだか懐かしい。
ずっとおぶってたんだっけ。