「腐女子」の刻印は消えない

最古に属する部類だと思います。数十年!ぶりに甦った「萌え」にびっくりしたので、とりあえず自分のために分析した事を置きます

死ぬのはこわくない

さっきTwitterにつぶやいて、自分の中でももうちょっと言語化してみたいのでここに書く。

 

この瞬間に死んでも後悔はない。

 

それは、やりたいことが無いとか、家族友人に未練がないとか、そういうことでは全くない。

 

やりたいことはもりもりあるし、人間関係も恵まれていてもっと深めていきたい。

でも、そもそも死は「いまきりがいいので来てください」という風に訪れるものではなくいつでも突然である。

 

その意味において、私は自分のスペックの許す限り努め、容量以上に毎秒を楽しんでおり、こんなはずじゃなかった、言わずにすむ選択を繰り返している。

 

そして私は死が祝福だと思っている。

唯一誰もが平等に持っている運命。

 

20代の頃、6年お付き合いしていた人が突然亡くなった。

心筋梗塞だった。

前触れもなく、私は職場からいつも通りに昼休みに電話をかけ、彼の携帯に応えた友人からそれを知らされた。

 

大事な人を失った衝撃の向こうで強く思ったのが、彼には時が来たのだ、ということだった。

 

人は死のうと思って死ねるものではない。

自死も、時が来なければ成功しない。

 

死はどこか彼方から与えられる贈り物だ。

そう思わないのであれば、自分で死期が決められると仮定して想像してみればいい。

それがどれだけ重い決断であることか。

 

だから、いつでもその贈り物を受け取れるように、今日も生きている。