そこにいるだけで怖い
もうだいぶ前になるが、私の友人は、私の目の前で子どものクラスのお母さんから
「あなたが側にいるだけで怖いんです!」
と言われたことがある。
二人して面食らって、
相手より自分が弱いと思ったら何をいってもいいのか?
と首を傾げたものである。
この件はずっと心にかかっていたのだが、最近娘との会話の中で整理がついた。
白米を偏愛する娘が「どうして米の国なのに給食がパンと牛乳だったの~」と問いかけて来たので、
「もともとは戦後、GHQの政策で乳製品と小麦の輸出先として消費を定着させるために考えられたことだから」
と答えた。
これに対して娘は、
「ままってほんとムカつく!そんなこと聞いてないし。なんで普通に、そうだね~とか相槌打てないの?」
という。
「そんな適当な相槌打つなら話しをする意義がないじゃん。ままは考えたことは言うよ?」
「ままが会った100人のうち98人は絶対ままのこと嫌いだよ」
「2人と意気投合できたら、98人に適当に合わせられるより良くない?」
「サイアク!」
と続いた。
(もちろん私も大人なので外ではトーンダウンしているし、自分の子どもだからこそ容赦ない部分はある。それにこの手の言い合いは既に娘との間で定番になっている。)
つまり娘は、コミュニケーションに際してノイズを出すな、と言っているのだ。
予測しない返答が帰ってくるのを嫌がっているとも言い換えられる。
そして次のようなやりとりを考えると、もっと見えてくるものがある。
私が彼女の意図しない返答をすると決まって、
「意地悪!!」
と返されるのである。
なぜ意地悪になるのか?と聞いたところ、
「言ってほしいことを言ってくれないんだも~ん」
なのだそうである。
どうやら自分が受容できないコミュニュケーションをする人は「害悪」であり、排除してもいい、という通念ができあがっているらしい。
冒頭の例に戻れば、攻撃は最大の防御である、かな?
クレーマーなんかはそこを利用して弱者の仮面を被っていることが大概である。
でもこれは考え直したほうがいい。
明らかに、相手を傷つける意図をもって発された言葉は意地悪、悪意である。
それ以外はただの意見の違いである。
指摘や注意、叱責もこちらに含めたい。
それによって傷つくかどうかは個人差だから仕方ないが、相手に「悪意がある」と勝手に上乗せすると辛くなるのは自分なのだ。
という訳で冒頭の一件にいま返事をするとしたら、
「そりゃあすんません。でも存在するのは致し方ないもんで。あとはあなた個人の問題ですわ」
となる。