きらきらしたもの
自分に恋愛志向はないのに、どうしてこんなにも夢中になって腐向けの恋愛ものを読み耽っているんだろう、というのが今日のお題。(そして二段構成になると思う)
世の中の人が恋に落ちている感覚と、自分が何かに「萌えて」いる時の感覚はよく似ている。
今回も、気がついたら赤信号に突っ込んでいたり、
「聞いてる?」
と言われるほど上の空だったりで、各所で残念な人になっている。
それからもうひとつ「萌え」ほど持続時間はないけれど、見たり、考えたりしたときに、どん、と心拍が上がって胸が苦しくなるものがある。
霞がかかり、春めいてきたときの夕暮れ。
ライブの終盤、客電が薄っすら点いてステージも客席もラストスパートに入るとき。
リレー戦でアンカーに襷が渡ったあと。
古いレコードで聴く演奏。
絵の中の、ある色や線。
夕立と稲妻。
そうやって瞬きするまに過ぎ去るものに心を動かされた時は、呼吸が止まらないようにゆっくり息を吐いて先に進む。
思うにヒトが現すものの中には、それがある。
鼓動をひき絞り、息をのませたものの面影が。
ここで論理が飛躍する。
2次創作には、この二層の要素があるのである。
書き手の心を貫いた何か、と、
こちらの心を動かす一本の線や、ひとつの言葉が。
きらきらする幻の欠片を掬ってさしだされたら、
覗き込まずにはいられないではないか。
うまく言葉にできないが、これが2次創作に夢中になる理由である。
段をかえて、「恋愛もの」である理由も考える。