アロマンティックからみる世間の「モテ」
今日友人から、
普通に恋愛する人も、「この人が好き〜」という段階を経て関係を始めるだけではなく、
シチュエーションに燃えて擬似的に始めたり、状況に流されて始まってることも多いけど、
「この人となら!」というというところに至らないから恋愛にならないという訳じゃないよね?(大意)
と聞かれたので、ちょっと考えてみる。
(↑そういうデミ、というパターンもある。一応。だから人類全員個人差でいいじゃんとも思ってる)
さて、ここからタイトルの話
アセク・アロマの私からみて、「モテ」というのは「いつか近いうちにモノにできるかもしれない」という期待値を交換するゲームに見える。
私は自分が絶対に掛け金を払う事がないのを知っており、詐欺にあたるのでそのゲームには参加しない。
今思えば、媚や色気らしきものを見せてゲームの参加者と間違えられないようにしようとした事が、「女性らしさ」を遠ざけてきた一因かもしれない。
なので、巷で「モテない」と騒いでいる一団をみると、
「だって、ルールも知らなきゃ、練習もしてないじゃん」
と思う。
もちろんそう宣言する事で、自分のように意識的に遠ざけているのが分かる人もいる。
そして、モテと恋愛もまた違うものだ。
恋愛というのは「恋に落ちる」というように、偶発的に起こる事。
さらにそれらと結婚も違う。
結婚というのは、家族を経営するためにチームを組む事だ。
だからそれらをごっちゃにして「モテない」と悩んでいる人がいたら、自分がしたいのはどれなのかをはっきりさせるといい。
モテたいならゲームのルールを学び、練習しながらスキルをあげる。
恋愛したいなら感受性を高める。
結婚したいなら生活と経済基盤を整えて、責任ある人になればいい。
何をすればいいか分かればもう悩みじゃないよね?
友人の疑問に対する答えは、
「はなから参加していない」
だけど、実例は頁変えます。