「腐女子」の刻印は消えない

最古に属する部類だと思います。数十年!ぶりに甦った「萌え」にびっくりしたので、とりあえず自分のために分析した事を置きます

参加しないためにすること

前段の「アロマンティックから見た世間のモテ」の続きです。

モテや恋愛に参加しないためにした事を具体的に話します。

 

ちょっと自慢話かもしれないので嫌な人は回れ右!

 

 

ジンバブエのビクトリアフォールズに一泊した日、ちょっと盛り上がって夜クラブ(というより激しくディスコに近かったが)に踊りに行った。

同行者がさっさと相手を見つけてがっぷり組み合っていたので、困った、間がもたないと思っていたところに、地元の男の子がきて相手になってくれた。

踊りが上手ですごくきれいな子だったので、うっかり突き放し損ねたのだけれど、帰る時間になってある事に思い至った。

案の定、この後家に来て!という流れになり、お互いに恥をかかないために思いついた事があったので、えーいままよ、とついて行った。

 

ついて行って、彼がしようとしている事に確信が持てたところで、さり気なく、故郷について尋ねる事にした。

当時ジンバブエには南アから出稼ぎに来ている若者が多かったのだ。

うまい具合に話の糸口を掴んで、彼が南アに母親と妹を置いてビクトリアフォールズにいる事や、故郷は恋しいが、若者にとってどれだけ状況が厳しいか、という事を聞かせてもらった。

私も自分のことを何か話したと思う。

しんみりして、あ、ちゃんと気持ちが通じ合った、という確証を得て私はきりだした。

 

外人の女性を掴まえて一晩過ごすことで稼ぎを得ていると思うけれど、私はそれは望んでいない。

でも、一緒に踊って楽しい時間を過ごしたことは感謝しているので、本来であれば稼げたはずのお金を受け取って欲しい、と。

 

びっくりはしていたが、彼も私に恥をかかせないように承諾してくれた。

 

ちなみに待たせておいたタクシーの運転手は、私が何もしないで帰ってきたのを見て、あり得ない事に立ち会ったからと帰りのタクシー代をまけてくれた。

 

翌日、出発前に友達だという人が、シフトで出てこられない彼に代わって手紙を届けてくれた。

そこには、

人として尊厳を持って相対してくれてありがとう、という感謝と、旅の安全を祈る言葉がしたためられていました。今でも名前を覚えています。

 

 

若かったときは自分が何者なのかはっきり知らなかったので、時々そういう事態に遭遇していましたが、母親の話と政治の話は相手を傷つけずに萎えさせる、ということは習得していました。

 

 

踊ってて失敗が何度かある…。

武勇伝だ。

スクリュードライバーで酔わせようとしたんだろうが、4杯目くらいで向こうがが先に潰れちゃったのをありがたく置いて帰った!

始発まで地下鉄の階段に座ってた六本木の。