「のだめ」シンドローム
ジョージア・オキーフとスティ-グリッツ。
師弟関係から恋愛に発展し、芸術と愛憎の板挟みになった女性たちは枚挙にいとまがない。
そこで、のだめと千秋である。
2001年から連載が開始された漫画、「のだめカンタービレ」。
指揮者を目指す千秋真一はひょんなことから汚部屋の住人、のだめこと、野田恵と知り合い、彼女のピアノに天賦の才を見出す。のだめとまわりのユニークな人々にもまれながら、千秋本人もスランプを打開し、またのだめのピアノの才能を引き上げようと奮闘する。
のだめもまた、千秋の才能に感化され研鑽を積むのだが、彼女のモチベーションは「千秋に認められること」であり、最終話近くで、千秋はのだめがやりたかった演奏を、他のピアノ奏者であっさり実現してしまう。
ショックでひきこもったのだめに、彼女の才能を知っていた老獪な指揮者が接近し、千秋無しでもっと素晴らしい演奏をしてみないか、ともちかける。
結果、世界デビューは成功し留飲を下げ、自分の才能を確信したのだめは、だが、千秋の元へも仲間の元へも帰れなくなってしまう。
話の最後で、のだめは音楽の楽しさを思い出し古巣に帰ってくるのだが、どうやって痛手を乗り越えたのかがごまかされており、消化不良のまま話は終わる。
そのせいで、ドラマもアニメもみる羽目になったのだが、どちらも原作に忠実で、のだめは苦悩に向き合わないままだ。
先日セルゲイ・ポルーニンを見つめる少女たちを見たときに思い出したのがこれなのだ。
自分にも才能の片鱗はある。
そして目の前に至高の芸があり、その人が手をのばしてきたら、
彼女が愛するのは芸なのか、彼なのか。
また彼が愛するのは、彼女なのか、彼女が体現できるかもしれない芸なのか。
芸だとおもう。
どんなに精神的、肉体的にくっついたとしても、芸の神髄に触れることはできない。
口をあけて互いに見惚れることしかできないはずなのに。
手に入らないからこそ尊くてヒリヒリする。