一党独裁のひずみ
#安倍やめろ、のハッシュタッグが回ってきて、50万件でトレンド入りしたのに昼頃消えた。
おかしな情報操作もぞっとするけど、
そもそも首相への退陣要求がハッシュタグぐらいでしかできないのは何故か。
答えは簡単。
与党連合が過半数を越えているから。
世論の高まりがあり、以前なら野党が共闘して内閣不信任決議案を提出して、衆議院の解散総選挙で民意を問うか、内閣総辞職を迫ることができた。
しかし、今は提出したところで野党が過半数を下回っているのだから、与党の議員の造反がなければ可決される見込みはない。
だから、政権与党はやりたい放題なのだ。
止める手立てがない。
選挙は人気投票ではない。
与党の得票予想を鑑みて、政権との交渉をさせるために野党に投票するという方法もあるのである。
今の日本の現状は、選挙権を持っている国民の選択の結果である。
もちろん、選挙権を行使して一貫して野党に投票しているという人もいるだろう。
でも、ひっそりと投票していないだろうか。
選挙に行くということを、ましてや野党に投票することを自分の周囲の人間にはっきり公表している人はどれくらいいいるのだろう。
私は、選挙の時点で同調圧力は働いており、「とにかく投票はしたから」と胸裡に言い聞かせ、頭を低く過ごしてきたと思う。
仲間内では威勢のいいことが言えても、はたして外部に橋をかけることはしただろうか?
民主主義の、市民自治の劣化をここまであからさまな形で突きつけられるとは正直予想していなかった。
育ちのかべ
友人からお返事が来た。
大事な論点がたくさん降ってくるので、取りこぼさをないようにしたいんだけど、前回のテーマをついで、 ここにお返事をする。
今、子を持つ身となった私達が 前世代がそうだったから 親に認めてもらえなかったから それを理由に いつまでもいつまでも 自分も自分を認められず、で良いのか? と考える
【毒親ってなに?】への返信 - ふりむくわけにはいかないぜ
なるべく具体的なほうがわかりやすいと思うので、私の話をする。
息子が生まれて間もない頃は、週一とはいわず、しばしば母が尋ねてきた。
私は彼女が、子供や動物が苦手なことは知っていた。
でも、ちょっと抱っこしてて、という時に、荷物のなかから流し用の小さなスノコを出してきたのには、娘ながら驚いた。
なんでスノコかわかるだろうか?
首の座らない新生児なので、スノコに乗せて持ち上げればいいだろうという発想。
私は一体どのように育てられたのだ!?
そういう母だったので、私には欠けた部分がたくさんあり、また余分についているものも沢山あった。
でも、成長段階で不自由を感じるところは、自分で埋めたりならしたりするのである。
わたしは欠けたところは適当に放っておいて、余分なところを更に盛ったので、だいぶ先鋭的な形になった。
そして、埋めたりならしたりするには、外側から自分を観察することと、粘土を持ってきて捏ねるように、学んで考える作業は必要なのである。
スノコに新生児を乗せる母の娘は、自分の子供を育てるに際して、生物学から育児の本まで読み漁り、発見した一文を道しるべにした。
もう資料が手元にないので、正確に引用はできないが、
「母性なんてものは備わっているものではない。赤ん坊に触りまくることで、オキシトシンが分泌されるようになる」
というものである。
これのおかげで幸先のいいスタートを切ったと思う。
ああなんだか懐かしい。
ずっとおぶってたんだっけ。
ひとりで悩まない
友人がとってもだいじなことをブログにかいてくれたので引用する。
どうしたら 幸せな人が増えるのか というか幸せとは何か そうしたごく個人的な事柄や 心理的、哲学的なことを考えていくと 必ず社会全体の歴史や仕組みに繋がっていく どうやって社会とは成り立っているのか その昔はどうだったのか どんな出来事を経て 現在の形になっていったのか 社会のどんなことが どんな風に個に影響しているのか
知りたい、という欲 - ふりむくわけにはいかないぜ
そうなんだよ!
「個人的な悩み」は必ず社会につながっている。
わたしだけ、あなただけが原因で起こることはない。
自分を、社会を俯瞰すると見えてくる。
悩んだり、考えたりすることはとても大事。
そしてこの「俯瞰」という視点を持つと、そのことによって傷つかなくなる。
悩みを自分にひきつけて、抱えて離さないのは、自分自身にナイフの刃を突きつけるようなものなのよ。
引用した友人のコラムは、考えて言葉にしたいことが詰まってる。
これが、いっこめ。
ウィルスってなあに
SARS-Cov-2(ウィルス名)のおかげでウィルスという単語が飛び交っているけれど、そもそもウィルスってなんなの?
わたしは、そもそも何なの?っていうこと、つまり「定義」をしない論は無意味だと考えている。
何かについて議論するなら基礎知識が要るよなあってことで、文系でも読みこなせるものを探して、たどり着いたのがこの本。
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本一冊読むのはなあ、と思ったら福岡伸一さんのコラム
ここに書かれた話だけでも大分役に立つと思う。
それで、COVID-19(感染症名)が怖いなら、少なくとも細菌とウィルスの違いくらいは頭に入れておくといいんじゃないかな、と思います。
あと、ウィルスの感染様式もね。
ところで、なぜ突然ウィルスの話かというと、上のコラムを勧めて読んだ友人が、
「あなたってさ、ウィルスみたいだよね」
という賛辞を送ってくれて嬉しかったから!!
どういうことかというと、私はしばしばある集団に所属しては、そこでは無いことにされている外界からの視点で「それってつまり~ってこと?」という手榴弾を投げ込んで、死体の山を築いて出てくることを称している。
(そういう意図があってやってるわけじゃない。軋轢のあげくそうなることが多い)
友人は私の行動を、その集団に親和性を持っているから入っていく、それからそこに何がしかの進化のきっかけを残してくる、と評価したから、あえて「ウィルス」という言葉を選択してくれた。
打てば響くなあ!
毒親ってなに?
母子関係のことについてもちょっと書いておく。
そもそものきっかけになったのは、娘が私を咎めに来たことなんだけど、
あのときどうしてそれがひどく引っかかったのかといえば、
娘の物言いが母にそっくりだったから。
高校時代、まだ電話はコードレスじゃなくて4mとかの電話線をつけたまま電話機を自室に引っ張り込んでは友人と長電話をしてた。
そこに母が来て、
「いつまで話してるの!」
なんてよく怒られたんだけど、いつの頃からかいきなり電話線の元を抜かれるようになった。
その怒り方が「うるさい!」ではなく、
「仕事と家事をやってこっちは疲れてるのに、あなたは何を呑気に電話で喋ってるの?」
というものだった。
同じように、父も遅くに自室でテレビを観ていると母が起きてきて、同じような小言を言われていた。
これにはずっと違和感を抱いてきたんだけど、自分が「仕事と家事で疲れてる」状態になって理解した。
「仕事で疲れてるから家事を手伝って!」
と言えればよかったんだよね。
「言われなくても気づけ」
という向きもあるかもだけど、手伝いを申し出ると断ってきたり、手伝った内容が気に入らなくて小言を言われたり、というのが大抵前段に経験されてる。
(これは自分の子どもに指摘されて気づいた。確かに自分もやってた)
なので、「不満を違うことに転嫁して嫌味を言う」態度にはちょっと敏感。
さて、ネタはありすぎるくらいだけど、端的に私の母との関係が分かることを明かす。
結婚してから20年近く、我が母は週に一度、欠かすことなく、作った惣菜や各種雑貨で満載にしたショッピングカーを引いて我が家にやってくる。
3回引っ越しをして、いまや電車を乗り継いで2時間弱かかる距離に住んでいるのに。
そして、午前中をかけてあちこち掃除して帰っていく。
母は掃除したところの物の配置を彼女が正しいと思ったところに毎回きっちり変えていくので、ゴミを捨てようとぽいっとやったらゴミ箱はそうだ反対側だった、ということは日常茶飯事。
冷蔵庫は実家からの惣菜で満杯で、自分が作ったものが入らないとか。
母が愛用の洗剤だの雑貨を次々持ち込むので収納が溢れてるとか。
これをいうと大抵の人にドン引きされるけど(笑)
20年も続くと当たり前になってしまって、このところは全く気にならない。
20代の頃は、おかしくなりそうで、この本を皮切りにかなり勉強しました。
それでね、母にも貸したの。
そしたら、
「こういうことってあるわよね」
って。
「あなたのことだよ~!」
と心のうちで叫んだけど、その時はもっと先に行ってて 、もしかすると母と祖母の関係も難しかったのだろうか、と考える余裕があった。
母が生まれたのは戦後すぐで、もちろん母と祖母も大変だった。
そして、母はこの頃その祖母の介護と称してやっぱり1時間以上かけて通っていて、全くカクシャクとしてる祖母とやりあっては疲弊しているのを見て、
「ああ、この人は家族の世話をすることでしか心の穴を埋められないのだな」
とひしひしと感じて、闘うのをやめた。
かわりに、
「ありがとう!助かってるよ!」
と受け入れることにした。負のエネルギーに負の感情をぶつけても際限がないけど、プラスで吸収しちゃおうと。
そうこうしてるうちに子ども達が大きくなったら、こまめにお小遣いもくれるようになって、本当に感謝しか無い(笑)
あとはお互いに年を取って、エネルギーが少なくなってきたのもいい感じ。
さてamiちゃん、なにかツッコミあるかしら?
お時間あるときよろしくね~
恋愛はなにを取引しているか
さっきの続き。
もとにしている本はこれ。
対談されている湯山玲子さんは文化系女子のサラブレッドみたいな方で、二村ヒトシさんはCAKESで「やおい穴」について語ってらしたAV監督。
その二人が、昨今の恋愛と呼ばれているものって、女性はバカっぽさを演じることで男性の優越感や支配欲を満足させ、自分は承認欲求を満たしているだけで、もはや恋愛でも性欲でもないよね、と言っており、膝を打つ。
この取引がほんとに嫌だったよね。
なんで卑屈になったあげく、精神的暴力を振るわれなきゃならないんだ!
そもそも自立してたから他人の承認とかいらないのよ。
というわけで、早いうちから「恋愛市場」に参与の意思なし。
それから、日本の性愛って「恥」の文化で、恥辱や屈辱が欲望のトリガーになっていて、昭和生まれは特に色濃く染められてる、だからエロのコンテンツもそこが基盤のものが大半だね、という話にも「おお!」と思う。
私はそのコンテンツに馴染まなくて、観ると厭な気分になる。
だから女性も男性も合意の上でオープンにはじめる、リンダ・ハワードのハーレクインものを読んだ時に、あ、文化の差なのね、と気がついた。
そして、この対談の秀逸なのが、この先恋愛とかセックスはどうすればいいの?に答えとして提示されるのが、
「ハッピーな男女関係は、男女関係ではなく人間関係である」と、
「本当の快楽には男性性も女性性もないんじゃないか。一組のカップルのそれぞれが濃厚な雄性と雌性の両方を有していてそれが自在に入れ替わるというのが一番エロいのではないか」
なのだ。
セクシャリティー、またはセクシャルなことで悩みがある人には一読をおすすめ。
親子関係と自己肯定感のことも出てくるから、もう一度くらい引用するかも。
ほんと面白い本だったなあ。
BLについても、私の性癖は「対等・リバ」と大変ニッチなのだけれど、男女にも応用可能なんだってもっとはやく気づきたかった。
もともと少ないホルモンがかすれてるのに今更探求できない(笑)
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野次以外のコメントはできる限り承認して、お返事をしますので、
ご意見とか聞きたいことがある方はどうぞお気軽に足跡を残してくださいませ。
わたしは直截だけどイジワルではないと思う。たぶん。
アセクシャルとホルモン
このあいだ、萌えとホルモンの関係について書いたばかりだけれど、
ブログを見てくれた職場の先輩が超絶面白い本を貸してくれたのでそれについて。
お借りした本はこれ ↓
この本の冒頭で、湯山さんが「更年期になって、ホルモンが減ったらめっきり性欲がなくなった」とおっしゃってる。
湯山さんといえば、国内では珍しい成熟した肉食女性だと思っていたので、びっくり。
その彼女が、「自分はエロいと思っていたが、なんだ、ただのホルモンか」 というのだから、深く納得せざるをえない。
というわけで、性的関心が高いか低いかはホルモンの多寡の問題に過ぎない。
だったら、アセクシャルならホルモン治療すれば?
的なことをいわれたら、
「いえ、ほかに興味関心があることが多すぎて忙しいんで結構です」
と言えば終わるよね?
もしくは、「性的関心が高い」状態に興味があれば、医療介入の可能性もあるのかな。
まあ、この本の続きを読むと、
「性的関心が高い」と思われている社会も実は色々あるよね、
というか、その恋愛は性的関心からじゃないよね??
という話が書かれていて、目からうろこ。
次はそれについて。