悪意とは
いまだかつて思春期の娘ほど、
質も量も圧倒的な罵詈雑言をひねりだし、ぶつけてきた人はいない。
いまでも時々、不快にさせることだけを意図した言葉を叩きつけてくることがある。
それでもこれだけ間近で観察しているとおもしろいことがわかる。
私に悪意をむける直前に、かならず彼女はもやんと気分が下がっているのである。
買ってきたおかしが気に入らなかった。
昼ごはんを用意してくれなかった。
ごはんが足りなかった。
買い物に同意してもらえなかった。
たいていが食べ物絡みというのがかわいい。
息子も中学生の頃、お腹を空かせて帰ってくると物凄~く凶悪だった。
直接残念だったことに文句を言ってくるわけではない。
本人も理不尽な腹立ちで、あっという間にやり込められると分かっているからこそ、全く関係のない、こちらの弱点だと思われることを攻撃してくる。
こういう経験から、
悪意というのはどこまでいっても発信した人の問題である、
と考えている。
満たされないのか、不幸なのか、不器用なのか。
構ってあげるかどうかは、その人との関係の深さで決めている。