「腐女子」の刻印は消えない

最古に属する部類だと思います。数十年!ぶりに甦った「萌え」にびっくりしたので、とりあえず自分のために分析した事を置きます

何に「萌える」のか

「萌える」は既に死語扱いされてもいるようだけれど、自分を振り返ってみると、二次元周辺の「好き」にはこの単語が重宝している。

 

そもそも音楽でも小説でも「好き」は沢山あるけれど、二次元に喚起される「好き」において何が違うかと言えば、

コミットしたい、消化したい、という欲求、

もっと言えば妄想したい、という欲求がついてくるか否かだと思う。

 

自分が萌える瞬間は、

「もっとその物語を読ませて!」

と思った時である気がする。もっと、というのは「続き」ではなく、「深度」。

 

言いかえれば、

自分がコミットしたいと思う瞬間は、物語に揺れや、不安や、隙間を感じた時である。

 

今、高校生の時以来、どれだけかぶりに萌えたのは「ハイキュー!」アニメ版。

そもそも子供の頭越しにではなくアニメを観たのも久しぶりで、

「良くできてるな〜」

と呑気に観始めたら、どぶん、と溺れた。

そして、

「どんなにいいチームでも、一年経ったら三年生はいなくなる」

という不安から、萌えた、

と言えると思う。

 

「長きに渡って物語に溺れなかった理由」については、

また次の機会に。