何に「萌える」のか
「萌える」は既に死語扱いされてもいるようだけれど、自分を振り返ってみると、二次元周辺の「好き」にはこの単語が重宝している。
そもそも音楽でも小説でも「好き」は沢山あるけれど、二次元に喚起される「好き」において何が違うかと言えば、
コミットしたい、消化したい、という欲求、
もっと言えば妄想したい、という欲求がついてくるか否かだと思う。
自分が萌える瞬間は、
「もっとその物語を読ませて!」
と思った時である気がする。もっと、というのは「続き」ではなく、「深度」。
言いかえれば、
自分がコミットしたいと思う瞬間は、物語に揺れや、不安や、隙間を感じた時である。
今、高校生の時以来、どれだけかぶりに萌えたのは「ハイキュー!」アニメ版。
そもそも子供の頭越しにではなくアニメを観たのも久しぶりで、
「良くできてるな〜」
と呑気に観始めたら、どぶん、と溺れた。
そして、
「どんなにいいチームでも、一年経ったら三年生はいなくなる」
という不安から、萌えた、
と言えると思う。
「長きに渡って物語に溺れなかった理由」については、
また次の機会に。