スペックをみきわめる
今、Choose LIfe Projectの「#検察庁法改正案の強行採決に反対します」の5月15日の配信をみながら、映画「タゴール・ソングス」に触発されてちょこっとインドのことを調べていた。
イヤホン2本で、左右で交互に違うものを聴いていたら疲れてしまったので休憩。
20代のころ、やりたいことも行きたいところも山盛りで、その行き着いたところで活躍するする人を見ては、なんで自分はそこに到達する能力がこんなにも低いのだろうと歯噛みした時期があった。
集中力もすぐ途切れるし、こんな役立たずじゃ存在意義がないじゃん!などと思いつめていたらアレルゲンが特定できないアナフィラキシーを何度か起こした。
その時出した結論がある。
人にはみなそれぞれのスペックがある。
「誰か」のようにはなれないし、誰もが一番になるわけじゃない。
自分のスペックを見極めて、足りないところ、欠けているところを認めなきゃ駄目だと。
得意なところを伸ばすというと、特に学生時代は発想が教科にしぼられたり、大人だって仕事に限定されたりしがちだけど、みんな実は他人に長ずる能力を持ってたりする。
ただ、その能力がお金にらないから軽視しがちなだけ。
でもその能力は、自分が愉しく生きていくのにはすごく役に立つの!!
自分は例えば「あれもこれもそれも興味がある」というのを持っている。
周りからは「あれこれ手を出さないで、一つに集中して極めなさい」と散々!!言われた。
でもあれもこれもとひろげた触手がやわらかい網になって私を受け止めてくれている。
おまけみたいに中年になってから「雑学程度」がやたら役に立つ仕事についたし。
それを喜んでくれる人がいるのが最高。
寝てばっかの息子も、焦りがないのもひとつの力だなと思う。
生きること全体に視野を広げれば、そんな便利な能力の一つや二つ、ちゃんと備わってるのが分かる。
他人に認められる必要はなくて、自分がその恩恵にあずかればいいんだよ!