男子の生きづらさ
前出の「みなみけ」は、小学生の頃の娘がネットで拾ってきて観ていたので知っているのですが、明らかな「美少女キャラ」がうようよいて、
冒頭で、
「この物語は、南家三姉妹の平凡な日常を淡々と描くものです。過度な期待はしないでください」
とあるものの、いつエロが出てくるか内心ヒヤヒヤしていました。
結果、エロは本当に無く、小学生女子が「ちゃお」の延長で楽しめてしまう内容に首を捻ったものです。
その後、「けいおん」や「まどマギ」が受容されていくのをみて、これはもしや?と考えました。
「ループもの」や「世界系」のポイントがわからず、東浩紀の書いたものなどを読んでいたのですが、その時手にした「戦闘美少女の精神分析」(斎藤環 ちくま書房 2006年)に、直感を裏付けるような記述がありました。
「思春期にこじれて、自分の性を否定的なものとしてしか捉えられない」というような主旨だったと思います。
何を言いたいのかと言うと、2000年代に入った頃から、男も男に生まれただけで大手を振っていられた時代は終わり、選別に苦しみ始めたのではないか、
そして、女子が「腐」という操作を発見したように、男子も自分という主体を遠ざけなければ、ファンタジーに浸れなくなったのではないか、ということです。
十年近く、この直感は疑念のままだったのですが、
この間ついに、裏付けを得ました。
最近じゃ、自分自身の性欲に汚らわしさや否定的なイメージを持っている男性って、珍しくもなんともないようにみえますし、男性オタクも例外ではないように思えます。 こういうネガティブな性意識を持った男性オタクでも、美少女キャラや“男の娘”に自己投影すればセーフティに快楽が得られ、しかも自己投影しているうちは汚らわしい自分の性欲も浄化できるんじゃないか、っていうのがこの話です。
男性性欲を浄化する、美少女キャラへの自己投影 - シロクマの屑籠
これを読んでどれだけすっきりしたか。
そしてどれだけ嬉しかったか。
嬉しかったのは、苦しかったのは女性だけじゃなかったんだね、ということが分かったからです。なあんだ、じゃあみんなでもう一度考え直していこうよ、って。
自分はなんで「腐」なんだろうって悩んでいる方がいたら、シロクマさんの「シロクマの屑籠」の一読をおすすめします。
反対側のジェンダーから見ることで、浮き彫りになることもあります。